三木市剣道連盟ブログ

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大西 健先生を偲んで

 三木市剣道連盟会長 神澤 正輝

大西先生の訃報を受けたのは、余りにも突然のことだった。腸の手術をして退院の予定日も決まっていたのに、急変してお亡くなりになったことを聞いたのは後のことだった。ご親戚が近くにおられず、ご家族だけでお送りするつもりだったのが、葬儀には剣道連盟の同志をはじめ、教室の方々が参列した。教え子の方々に手を添えて送ってもらったことを、「主人は幸せ者です。感謝の気持ちで一杯です」との奥様の言葉だった。

 5月の連休は剣士にとって忙しい。1年間修行してきた技を演武大会で披露するため、全国から京都に集まる。会場は武徳殿。多くの剣士がここで修業をした武道専門学校(武専)の跡地でもある。

 終戦後、昭和22年に村山慶佑先生が武専最後の卒業生として巣立ち、縁あって神戸市立神港高校の国語の教員として赴任した。もちろん剣道の指導教員でもある。そして、大西 健少年が同校に入学し、剣道と出会うことになる。同級生に藤原信雄さんがいた。永き親友としての始まりとなり、共に三木市に住居を構えることになる。

 村山先生はその後、教員を退職し兵庫県警察本部剣道師範として剣道技術指導に当り、その活躍は目覚ましく昭和59年にとうとう全日本剣道八段選抜で優勝する。そんな先生が平成元年、三木市にスポーツ振興基金主催、指導者講習会の講師として来られた。大西先生にとって久しぶりの出会いで、うれしさもひとしおだったに違いない。

 大西先生は結婚後三木市に転居し、自由が丘少年剣道教室で子供たちの指導が始まる。代表指導者に服部巳代基先生が、また多くの指導者、剣道仲間との出会いがあった。当時、今と違って子供たちの人数は多く、教室も9か所あり各行事は賑わったものだ。神戸に通勤していた先生は、稽古日である日曜日はもちろん、水曜日は早く帰宅し、剣道具を担いで公民館に行き、子供らと汗を流す習慣が続いた。奥様はほほえみながら、

「子供が好きで、剣道も大好きでした」

と、印象深い言葉を漏らしておられた。また同年代の井上海人さんとは指導者だけでなく良きライバルで、どちらが先に昇段するか競争しておられ、伊藤明裕先生に指導をしてもらっていると聞いたことがある。そして、合格の朗報を聞いたのはそんなに長くは経たなかった。その頃が心身ともに充実していたから合格したしたのだろう。そして、今年の4月29日、教え子である山口直輝君の最年少六段合格はこの上ない喜びだったと思う。

大西先生は、自由が丘少年剣道教室の代表指導者としてだけでなく、三木市剣道連盟発展にも永きにわたりご尽力いただき、心より感謝申しあげます。ありがとうございました。あなたが築かれた自由が丘魂はずっと守り続けます。安らかにお眠りください。

(大西 健先生は今年6月8日 満80才にてご逝去されました。)